さらに『歌謡曲を通して日本を語る』
感想ご紹介です!!
昨日の生放送も、大変お疲れさまでした。
1曲目の『落陽』、これは今まで知らなかった。ナニコレ、すごくいい歌詞。
「みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく」
生きることの虚しさ、打ちひしがれても立ち上がる人間の姿を、サイコロを使って表現した作詞家の感性が凄い。
ここに到達するまでに、作詞家自身がどのように生きて、どのように思考し、どのような景色を見てきたかが窺い知れます。
生きること、戦うこととは。その苦悩も歓喜も、自分が身を投じて色んな感情に揉みくちゃにされることで初めてわかるもの。
他人の戦いを俯瞰しただけでわかるものでもないし、わかったような気になられても困る。
よしりん先生は『ゴー宣』を通して、何事も自らの身に置き換えて考え、苦しみ、実践することの重要さを教えてくれます。
よしりん先生の声も、番組を始めた当初より伸びが良くなっていますね! 練習して人前で披露して、を繰り返してこられたことの賜物でしょうか。
(もしかして先生、お痩せになられましたか? 顔が引き締まってきた気がする…。)
『越後獅子の歌』も、初めて知りました。西条八十の作詞だったのですね。さすが『歌を忘れたカナリア』を書いた人ですわ…。
こうして日本舞踊は継承されてきたのだと、私も含めて今の日本人は知らなすぎますね。「人権」という概念でガチガチになった時代ではとても書けなかったでしょう。歴史的事実から目を背けて、今の価値観で綺麗事を述べる輩に与するわけにはいかない。
瞽女といえば藤圭子の母(宇多田ヒカルの祖母)もそうだったらしいですし、昔と今とは緩やかでも繋がっている、形は変わっても、時代時代で芸能・文化を担ってきた人たちの魂は受け継がれているのだと、改めて思い知らされました。
映画『はなれ瞽女おりん』は観たことなかったので、今度観てみます。
音声トラブルもありながら、どのようなハプニングでも慌てることなく「笑い」に変えるよしりん先生には脱帽です。この姿勢こそ、我々は学ぶべき。冒頭のメッセージも、しかと受け止めました。
それにしても、最後の「○○○○○○」は面食らったし、チェブリンさんのリアクションには爆笑しました。(アレがお二人のアドリブだとしたら凄い。)つくづく良いコンビだと、微笑ましくなりました。
(だふねさん)
どんな逆境にあろうが、突発的事態が起ころうが、
全く動じない、むしろプラスに変えて見せる!
ということをまさに実践して見せたのが
昨日の生放送だったと思います。すごい!